2018年9月5日水曜日

Ryuuichi Sakamoto/Episode6

ぼくはシェーンベルクの調性が残っている時代のものは、後期ロマン派、マーラーを受け継ぐ者としてのものが感じられて好きなんですが、ウェーベルンはやはり完全に調性を放棄した後の、純粋で切り詰めた抽象性が好きですねぇ。
ベルクはずっと調性的なものがあるので、全て素晴らしいですねぇ。
ベルクこそ実はマーラーを一番発展させた者と言えるとぼくは思います。
ぼくもマーラーを聴き出したのは50歳を過ぎてからですよ。
※新ウィーン楽派と呼ばれる、シェーンベルク、ベルク、ウェーヴェルンの精神的支柱は実はマーラーである。
最初は音楽的に何処が似ているのかと思ったが、よくよく考えればマーラーほど自由に書いている人は少ないし、それに長くて取っ付きづらい。
武満は坂本以上に後期ロマン派に興味を示していないが、その後のシェーンベルク、ベルク、ウェーヴェルンに関してはとても影響を受けていた。その時々でウェーヴェルンが一番好きと言ったり、ベルクが一番と言ったりしていたが、彼も調性と無調のバランス感覚が極めて高かった人なので実際に甲乙付け難かったのであろう。
ベルク、暖かいですか?
ウェーヴェルン、調性を感じますか?
※私はこの時、安易に調性のあるベルクは暖かみを感じるし、ウェーベルンにも調性があると言うようなことを言った時の返信。
ちゃんと聴いていますか?ということを言っている。
ただ、私は元々そこまで良い耳を持っていないのと、調性というのは揺るぎないシステムであると思っているので大して意見は変わっていない。
ひとつ言えるのは調性システムに基づいて音を並べ立てるだけでは「調性」は作れないということ。
ベルクは調性に含まれる音を使っているが、並べ方がおかしいので音響的に無調に聴こえる。調的な無調とでも言おうか。
反対にウェーヴェルンは調性は微塵も無いが、システムとしての純度が高いので「まとまり」を感じ、古典的な意味合いとは異なるが「無調(Chromatic)」という調性を感じるのである。
例えば、リゲティなどは音程的である。彼は新ウィーン楽派の感覚とは距離を置いていて、と言うよりも異なった感覚を持っていたのであろう。
インターバルという調性(まとまり)で音楽を書いたのである。

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