坂田さんほどではないかもしれませんが、私も山田耕筰、中田喜直らの歌曲に大きく影響受けています。
1900とthe last emperorは映画として兄弟なので
す。イタリアと中国のね。
(以後「※」は彦坂の註釈)
※坂田さん→我が師匠坂田晃一のこと。坂本さんは坂田晃一のポピュラリティと芸術性のバランスを絶賛している。
軍歌はさすがにだめですが、山田耕筰もよく書けてますし、中田喜直のメロディーとハーモニーには子供の頃から大分影響を受けてます。もちろん大中恩も。世代の差でしょうか。湯山さんも好きなのがありました。三善さんの合唱曲もとても洗練されていますが、湯山さんのもその次ぐらいに美しいですね。
三善さんはぼくの時代は憧れの的でして、彼のピアノソナタから始まり、弦楽四重奏1、2番、特に2番、オーケストラのための協奏曲などなど、固い作風、パリのメチエに影響されたものです。彼を通してデュティユーを知り、よく聴いたものです。
モーリス・ラヴェル著「管弦楽法」は可能ですがドビュッシーは不可能ですね。応用がきかない。
ぼくはパリのメティエが好きで、和声や対位法の成績はよかったです。ただあれをやると皆響きは似てきます。 ブーレーズにさえぼくはそれを聴き取れるのでニンマリしてしまいます。メティエをやると、皆似てきますから、やらない方がいいと思いますよ。
ウェーベルンがシューベルトを指揮している録音もありますよ。とてもいいです。
ラヴェルの快感はメティエの快感とは若干違うんですよね。
彼のはもっとアメリカ映画の甘さに近いと思うんです。 ドビュッシーももちろんコンセルヴァトワールのメティエとは違います。
16歳で入った時に、わざと和声の宿題には完全5度の平行をたくさん書いていって、赤をたくさんつけられたそうですから。
ドビュッシーのはワーグナーから学んだ独自のものですね。
もちろん先行のフォーレやマスネー、シャブリエなどいろいろの影響はありますが。 ラヴェルはゲイですよ。 シューベルトはウェーベルンだけでなく皆好きですね。面白いのはラヴェルはウェーバーも好きだったようですね。
私は指揮は、大学の夏季講座で1週間ぐらいとったぐらいで、それは何の役にもたちませんでしたが、あとは実地で学びました。20歳代から自分のアレンジの録音は自分で指揮をしていました。指揮が分かりだしたのは随分最近です。1999年頃かな。元々、小学校の時にTVで見たカラヤンに衝撃を受けて、子供ながらに真似をしていまして、それが今でも「基礎」になっています。(^^;
【指揮について】
「指揮は見よう見真似でできるものなのですか?」さあどうでしょう?指揮って、腕の形だけのことではなく、譜面の読み方、説得の仕方、演出方法、、多岐にわたる能力の総合だと思いますので、独学では無理で一番いいのは常に素晴らしい演奏家と仕事をしていることだと思います。
結局オーケストラから一番教えられるものだと思うので。
リュリは指揮棒で足を刺したんですね。
昔の指揮棒は槍のように長くて、それを床に打ち付けてドンドン鳴らしたそうですから。 私の指揮がオーソドックスですか?!(^^; たくさん素晴らしい指揮者がいますが、ぼくが一番好きなのはフルトヴェングラー、次がカラヤン、そして次がカルロス・クライバーですかね。皆、とても異なるスタイルですが。
指揮はやはりリハで作るものですね。それはロックやポップスと同じです。公演はそれのお披露目、結果に過ぎない。
【好きな作家論】
ぼくはドヴォルジャクは苦手だなあ。非常にポップだとは思います。
よく、マニアの方が「ベートーベンは誰々の何年の何番の、何々盤がいい」とか話してますねが私にはさっぱりわかりません」 フルトヴェングラーの第九を調べたことがあるのですが、やはりその時によって随分違います。
それと同じ日の同じ公演を比較したこともあるのですが、レーベルによって随分違います。今は著作権が切れたので、素人でも音源さえあればリリースできるのです。1954年だったかの録音は10種類ぐらい出ていまして、随分聞こえ方が異なります。あるものは、始まる前のマエストロが舞台に登場する足音まで入っていたり、、。なかなか面白いです。
「ジュピター」は特別な作品ですね〜。 モーツァルトは亡くなる前に、初めて自分の作品を発表するコンサートを自分で企画してチケットまで発売しましたが、あまりお客は来なかった。そのために作ったのが最後の3つのシンフォニーです。泣けます。
特に「ジュピター」は凄い。 モーツァルトもベートーベンも晩年に近くなると書法の中に対位法的な要素が多くなってきますね。
当時はバッハの楽譜は一般的にはなく、収集家の貴族が大事に持っていたそうで、二人ともそういう貴族の所へ行って見せてもらったりしたのでしょう。モーツァルトは異常に記憶力がいいから、見たら全部覚えて、家に帰って譜面に書き写したのかもしれません。
モーツァルトは手紙に自分で書いていますね。曲は最初から終わりまで固まりで浮かぶと。自分の特技は記憶力だから、あとはそれを記憶にそって書き写すだけでいいと。小説家もそういう人はいます。三島由紀夫は多分それに近かったのではないかな。最初から最後まで頭の中で作り上げたから、一機に書き出す。
2016/07/6 23:42
【自己の作品について】
「blu」はイタリア語の「青」です。
人類の起源は多分アフリカのエチオピアあたりと言われています。アフリカを出たのが7万年ぐらい前。それほど前ではないですね。
ですから人類は元をただせば皆アフリカ人なのです。アフリカを出たアフリカ人は、多分30人ぐらいの一家族です。アジアまでたどり着くのに、1〜2万年ぐらい。アジア人で最も古いと言われるオーストラリアのアボリジニが5万年前ぐらいに来たようです。これを語り出したら一晩では足りません。(^^;
「playing the orchestra2013」は指揮者が少し問題でして、翌年は自分で弾き振りしました。「playing the orchestra2014」の演奏の方がはるかに良いです。
家に三善晃の弦楽四重奏曲二番の録音があったので、あとで送ります。45年ぶりに聴きましたが、覚えているものですねー!うーん、懐かしい!
坂田さんへの愛は相当なものですね。その道を歩まれるのがいいでしょう。
三善さんの弦カルがシンプルですかあ?!(^^;;;;; 印象は人によって違うものですね〜〜〜!!!!
ああ、ぼくはオケにシンセやドラムなどを混ぜるのはかなり嫌いです。
※悪意があっての言葉ではなかろう。大作曲家とは音にこだわるものなのです。
※私はこの当時、三善晃の弦カルを「シンプル」と評したことに関しての彼の反応。あくまでも武満の持つアンヴィヴァレントと比してということなのだが。
ブーレーズによる「春の祭典」の詳細な解析は素晴らしいですよ。ストラヴィンスキーはとぼけているだけでしょう。
大くんは特に構造的にどうのではなく、とにかくよく知っているし覚えているのです。あのアレンジも、ギターソロを全て弦に移植しているのです。
※大くん→作曲家・藤倉大。個人的には彼のアレジは大衆性が欠如していて。いかにも現代音楽家らしいと言える。
アラビアンナイトは本当に凄い!モリコーネとハーマンは 別格です!
モリコーネの白眉はやはり「1900」と「アランビアンナイト」でしょうねえ。もちろん他にもいいのは沢山ありますが。彼の現代曲はそれほど面白くありません。悪くもないけど、ま、普通。
ハーマンの白眉はやはり「Vertigo」と「Psycho」ですね〜。
2016/07/9
【大河ドラマ「MUSASHI」について】
MUSASHIはひどかったですね。
Cinema Paradisoも。
あんなサッカリンのような音楽は好きじゃありません。MUSAHIもCinema Paradisoも、息子がメインでやっていると思います。Cinema Paradisoは、イタリア人として恥ずかしげもやっているというより、変質しているのです。それまでのモリコーネとは明らかに異なります。
※大河ドラマ「MUSASHI」について。指揮は服部克久。恐らく彼の功労に対するNHKの温情のような
ものを感じる。モリコーネは全く本気で書いていないと思われるが、今の子供が書いたような幼稚な大河ドラマと比べれば遥かにマシではある。
ああ、ピアノコンチェルト!懐かしいなあ。今、聴いても覚えているものですね。学生の時以来だから、もう45年近く聴いていなかったですが。とても影響を受けました。後で音を送ります。三善さんは、日本人の作曲家の中では一番西洋的(フランス的)に書いたいると思いますが、それでも西洋からは「あなたの音楽は日本的」とよく言われたそうです。ま、そういうもんですね。
三善さんとは次元が違いますが、ぼくもよくそう言われます。昔はその度にカリカリ怒っていましたが、、、
映画はおおかれ少なかれ神話が元になっているのでは。ま、神話と聖書ですね。広い意味でですが。ドゥリュリューはいいですね〜。あれ程甘味な弦を書ける人はなかなかいません。
※ドルリュー/フランスの偉大な映画音楽家
【映画について】
ヒッチコックの映画としても最高峰だと思います。
中国映画を見たらどうですか?中国といっても大陸だけではなく、香港、台湾もですが。台湾にはいい映画がたくさんあります。
姜建華さんという天才的な方でした。まだ小さい時に小沢征爾さんの前で二胡を弾いて、小沢さんが涙するシーンがありましたが、その娘さんが姜建華さんでした。 ちなみに胡弓ではなく二胡と呼ぶのが正確です。
※ラストエンペラーの演奏について語っている。
NYの人間はかなり文化度は高いし、国籍も多様ですが、それでも話題になりませんね。
もちろんあるといえば、pokemon goです。でもそれが日本製かどうかには全く関心はありませんし、日本製と言うのもどうかと思います。実際は多国籍のスタッフが開発しているわけだし。
台湾はもちろんHou Hsiao-Hsienもいいですが、盟友だったEdward Yangが天才です。残念ながら若くして亡くなりましたが。
丸谷さんはぼくの父の友人で、高校の英語教師の頃、悠治さんの先生だったんです。それで悠治さんが10代の頃のことから聞かされた育ちました。初めて悠治さんの演奏を聴きに行ったのは小学校5年ぐらいだったかな。とてもカッコよかったですね〜!18歳になって作品をもって会いに行きました。そこから長い付き合いです。
※ホウ・シャオ・シェン、エドワード・ヤン共に中国・台湾を代表する映画監督
【高橋悠治と武満徹について】
そうです。悠治さんはやはり一種の天才なのです。耳も恐ろしくいいし、ピアノも恐ろしくうまい。
しかも家にピアノがないので練習はしない。 丸谷さんから間接的に聞いた話しですが、高校の英語の授業で悠治少年は勝手に自分だけジョイスのフィネガンズウェイクを読んでいる。
丸谷さんはチラッと見てそれが分かった。ジョイスのそれは研究者にとっても難解で有名な本です。それを黙って読んでいる。
ところが丸谷さんが授業の英語のなかでちょっと自分でも不確かなことを言うと、悠治はニヤニヤしながらチラッと見る。 悠治さんは語学の能力もかなりあって、日本語、英語、ギリシア語、ドイツ語はできたはずです。関係ないですが、父は小田実さんとも親しかったですが、小田さんのギリシア語も相当なものでしたね。死の床でもギリシア語で悲劇を翻訳していたそうです。
作曲家に対してはまずは音楽から入った方がいいと思いますよ。その人間の作る音楽と、話す言葉は必ずしも一致している必要はないものです。ぼくが悠治さんの曲で好きなのは「6つの要素」「オルフィカ」「ローザス II(ピアノ)」あたりですね。「非楽之楽」もいいかな。あくまで個人的な趣味です。
※丸谷さん→作家・丸谷才一
響きとしてはラヴェル的でもあり、しかし書法としてはマスネーの影響が強かったドビュッシー初期の響きに近いですね。
※坂田晃一の「おんな太閤記」を評して
【ロマン派について】
ぼくは元々ロマン派はシューマン、ブラームス、ショパン以外はほとんど聴いてこなかったんですが、50歳ぐらいから無理に聴くようにしてきました。
はじめはとっつきにくかったマーラーなども、ブーレーズのおかげですかね、新ウィーン楽派とのつながりが見えてきて、また音響的に聴くようになって、初めて楽しめるようになってきました。
その後、その要領で毛嫌いしていたシューベルト、ブルックナーなども聴き出して、まあいいんじゃないという感じです。
シューベルトにはゲルマン的旋律の本質があるとは思いますね。 ま、総じてぼくには音響的に楽しめるという感じですね。 ロシア勢はムソルグスキー、ストラヴィンスキー以外はあまり好きになれません。
マーラーとドビュッシー、ストラヴィンスキーに共通性は感じません。
(^^; マーラーはフロイトの診察を受けていました。 それとシェーンベルクはマーラー本人と未亡人に、未完の10番を完成させるように頼まれたにも関わらず、逃げたのです。(^^; ま、それだけ繋がりが深いということでしょうし、マーラーもシェーンベルクを自分を継ぐ者だと思っていたのでしょう。
音響的に聴く訓練をしたらいかがですか?ぼくはレゲエを楽しめるようになるまで、2〜3年かかりましたよ。(^^;
ぼくも、大学に入る頃から西洋音楽を越えるために世界の民族音楽に興味を持っていたので、土俗的な要素のある間宮さんのも聴いていました。太宰にはあまり民俗的な要素はないと思いますが、寺山修司はファンでしたし。
「仮面の告白」と「太陽の季節」は全く時代が違います。世の中の風紀を撹乱した同志でもありません。
また、作曲家の本を読むのはいいことだとは思いますが、基本は音楽だけ聴けばいいのではないでしょうか。もちろん武満さんなどの言葉から大きな示唆を受けるのは素晴らしいことですが、例えばモーツァルトが本当に女たらしだったのか、実は高潔なる思索家であったかというのは、私には彼の音楽を楽しむうえでどうでもいいことです。失礼します。
三島が生きていれば石原を切るだろう、というのはぼくの勝手な妄想ではありません。それくらい二人は異なりますし、現在の石原がかつてに比べて堕落したのではありません。最初からあのような人間なのです。それは彼の文学を読めば分かりますし、三島との品性の違いは一目瞭然です。決して同列に置くような愚は犯さないほうがいいとだけ申しておきます。
※私が三島と石原慎太郎を単純比較したことに対してお怒りの様子。当時の熱気を知らない私からすればその怒りが新鮮であった。
【バッハと対位法について】
基本的には同じですが、やはり映画の場合は対象や「お題」がありますから。
そうですね、芸大に入る前の年の夏休み、毎日ソナタとフーガを書かされました。 一応芸大用には、何対何対何、、みたいな構成の数字がありましたけど、もう覚えていません。 「典型的」なフーガというものは、学校の中は別として、作品としては存在していません。
たくさん書いたバッハでさえ、共通したフォーマットはありません。ま、あるといえば大きくはあるけど。 カノンと大きく異なるところは、テーマが出てくると、2番目のテーマは、T->D, D->Tが逆になることです。 つまり調性的に、2番目のところで既に5度上に転調してしまうのです。
で、3番目のテーマでまた元のTに戻ります。 また、大きな構成としては、頭は当然T、次の大きな節がD、そしてDからSDに向かい、SDからTに戻って終止します。 ひたすら平均律とフーガの技法と音楽の捧げ物を聴いて真似をするのが、一番いいでしょうね。
フーガの場合、細部も大事ですが、もっと重要なのは大きな全体の構成、比率のようなものだと感じてます。しかしその比率というのは、何対何対何というように数字では表せない比率なんです。
ま、長い曲を作る場合にはいつもその問題は出てくるんですが。
いえ!「バッハは旋律をも重視していた」のではありません!! バッハは、もうすでに当時忘れさられていたパレストリーナなどの対位法音楽を理想としていたのですよ。時代を逆行していたのです。すでにバッハの時代は和声音楽の時代に移行していて、懐古趣味な奇人変人だったわけですよ。もちろん和声的にもちゃんとしていますが、まさにおっしゃるように和声的にも調性的にもとんでもないところに行ってしまうことがあるのは、旋律からの要請(欲望)だったのでしょう。 もちろん若い時には、当時流行りのヴィヴァルディなんかをお手本にした、とても和声的なものも書いていますが、晩年になるに従って時代を逆行して、対位法に固執していきます。
まあ、そうはっきり言えるかどうかはともかく。用心棒では、いきなりチェンバロが出てくるんで驚きます。
また打楽器もラテンっぽくてかなり変ですよ。遊び方がうまいですね。
それに比べて「7人の侍」の早川の「ボレロ」?は、ひどい。なんであんなのが評価されるのか、分からない。
武満さんの問題は、邦楽をリスペクトしすぎたことです。もっと乱暴に扱えばよかったのに、やはり世代的、時代的に難しかった。邦楽に手を出すこと自体、非常にリスキーですからね。ぼくのような若い者に「右傾化した!」と糾弾されることは、明らかだったわけですから。
相当な覚悟が必要だったことでしょう。
※早川→早坂文雄のことを坂本さんは「早川」と書いている。
2016/09/25 6:08
早計に判断するのでなく、よく聴いてください。
別にぼくに、武満さんの評価を書いてくる必要はありません。
武満のコンサート作品を聴いて眠くなるのは、あなたの耳がそれを聴くことに訓練されいないからです。
「ノヴェンバーステップス」を泣く泣く書いたとは、誤解も甚だしいと思います。
ちょっときつい調子で言いすぎたかな。
まだまだ若いんだからそんなに急に結論づけない方が、自分のためですよ。
ま、ぼくの個人的な体験だけど、若い時は聴こえてない、聴けてないことがたくさんあるんだよ。
この歳になって「ああ、聴けてなかった」と思うこと、しばしば。先は長いよ。
なぜバッハ=機能和声という間違った観念をもってしまったのか、こちらが疑問です。 「バッハ=遅れてきた対位法の大家」というのが常識だと思うけど、、、芸大のアホの言うことなんか信じちゃだめです。あんなもの官製の教師を生産する所なんで。
※全く仰有る通りだと最近は思う。
西洋においてT, D, Sにしばられるようになったのには、音程の共鳴ということが大きく関係してるんです。
今のように平均律が当たり前になってしまったのは20世紀に入ってからです。 平均律と言いながら、全く平均律ではないのです。 マーラーの時代でさえ、まだ平均律が支配的ではなかったのです。 そういう5度関係が基本になっている音律で調律している音楽の場合、当然わかりますよね。5度圏でTから離れれば離れるほど、音程関係が濁って(ヴィブラートが多くなり)きます。
そこに頭を悩まして、西洋は何世紀もかかって、様々な音律を考案してきたのです。そこにTDSの秘密があります。
バッハに限らず当時の作曲家はみな即興が上手でした。その伝統はベートーベンあたりまで続いているでしょうね。もちろんショパンなんかもうまかったと思います。
即興で評判になると、曲も聴いてやろうということになるのです。 バッハの「音楽の捧げ物」は、フリードリッヒ大王の前で、その場で出されたテーマに基づいた即興です。それを元に後で譜面におこしたのです。 「フーガの技法」は即興ではありません。
武満さんが「彼は意外に技法オタクで物凄く影響されやすいところがあるんです。」ということを、高橋悠治が以前批判していました。
武満さんは流行りのスタイルをいち早くとりいれ、自分の音にしてしまうのです。
エイゼンシュタインとプロコフィエフは「映像と音楽の対位法」を構想し、それを作品にしたのですが、あまりにも音楽が映像の動きと対応しているために、いわゆるミッキーマウシングになってしまっています。「書法」と書いたのは、そのことです。
旋法と和音の関係、例えば旋法にない音を含むを和音をつけるなど、はバルトークがとてもいいですよ。
バルトークは「弦チェレ」や「オケコン」も素晴らしいですが、一番音楽性が凝縮されているのが弦カルですよ。旋法と真正面から取り組んだ人ですから参考になるのではと思います。
フランクはぼくのルーツの一つですね。バルトークの影響の方が強いけど。
バルトークの弦カルは、3番4番から。バルトーク、苦しいですか?(^^; 厳しい音楽だとは思います。「売れる、売れない」なんて彼には関係なかったと思いますよ。NYに避難してからの「オケのためのコンチェルト」も、とても好きです。こちらは弦カルより親しみやすいですね。初演から好評を博したようです。
※私はこの後バルトークを必死になって聴きこみ、著書「モード作曲法」にその成果を顕したつもり。
【音楽で食べるということ】
音楽をするのと、音楽で食べるのは、違うことだと思いますよ。
何世紀前のヨーロッパでは、音楽は貴族に雇われるか教会に雇われるかしかありませんでした。あるいはパブで民衆のために演奏するか。 貴族は自分を誇示するために、評判の高い音楽家を雇うので、自然に耳が肥えていったのでしょう。 現在は大衆がパトロンですから、彼らは玉石混交。
耳の肥えた人も少数はいますが、多くは音楽教育を受けていない人たちです。彼らに迎合した音楽が売れるのは当然だし、そうしないと音楽を「売って」は生きていけないでしょう。
昔も今もそれほど変わりません。大衆に迎合するために無駄なエネルギーを費やすのは、少なくとも僕は人生を虚しくすると思います。
「売」らなくても、音楽をすることはできます。アカデミズムはその一つですし、他の仕事をしながら音楽を楽しんでいる人はたくさんいます。
実は19世紀末の長い間、欧州でも音楽を楽しむということは、素人が家で楽器を演奏して楽しむことが主なことだったんですよ。コンサートは高くてめったに行けないし、レコードやラジオはまだありませんでしたから。それなので、楽譜出版が隆盛したのです。
いやあ、音楽は趣味でやるのが一番いいですよ。19世紀までのように。楽興の時とはそのような家庭での音楽の楽しみのための言葉です。滋味深い言葉ですね。
まあ、ぼくが言えることは繰り返しになりますが、音楽を「する」ことと、音楽で「食う」ことは違うということです。「する」ことが必ずしも「趣味」とは言えませんね。
「もし、それが収入に繋がらなかったとしてもなさりつづけていましたか?」もちろんです。元々、音楽をすることと収入は別なことでしたから。
ぼくは音楽家になっていなかったたら、大学の頃から、考古学か人類学をやりたいと思っていました。 小学生の頃から、何かに属すことは嫌いで、他人に指図されるのも嫌いです。ですから、好きな研究をコツコツとやるだけの学者には、なってもいいかなと思っていました。
ですから、音楽家になって収入は入ってきますが、他人に知られるようになって、本当に困りました。今でも慣れたとは言えませんが、YMO当時アジャストするのに1年かかりました。
今でも、他人に顔を見られるのは嫌です。
売れるというのは、そういうマイナス面があるんですよ。
ぼくは全然傑出してませんよ。
人前に出るのは今でも嫌です。
※「坂本さんも日本の商業音楽にそこまで「楽しみ」を見いだせなくなったのではと勝手に想像してしまいました」
それは随分からそうですよ。
元々、日本の商業音楽での成功を目指したことはありません。 バルトーク、そうですか。
ぼくは3、4番は大傑作だと思い学生時代から愛聴してます。ま、人によって好みがあるので、全くいいのですが。 ちなみに3、4番は彼の絶頂期で、晩年ではありません。晩年もドビュッシーやラヴェルに比べても、それほど苦労が多かったわけではないと思います。
ドビュッシーも最後は癌で、しかも戦争中で暖をとる薪もなかったそうです。 ラヴェルは悲惨で、音楽の失語症になってしまいました。頭の中では音がなっているのに、それを表現できない病気です。これは作曲家には一番辛いことでしょう。
【若かりし頃について】
DAWなんて言葉、YMOが解散したずっと後に耳にした言葉ですよ。
最初はバイトとしてフォークなどのバックのピアノ演奏をしていました。 そのうち「りりぃ」という先日亡くなった歌手のバックの仕事が入り、フォークとロックと歌謡曲が混ぜ合わさった音楽でした。バイトくんなのに、いろいろアレンジに口を出してベースやらドラムやらギターに注文を出し、コードも勝手にどんどん変えてしまいました。そんなことをしているうちに、彼女のアルバムのアレンジをしてくれと言われたので、見よう見真似でポップスのコードと行き方だけの譜面を書き、バンドアレンジ。
そしてその上に弦のアレンジをし、録音したのが本格的なアレンジの最初かな。そういうギターとかベースの人たちから「これ、聴いたら」と紹介される未知の主にアメリカのポップ、ロック、R&Bなどのレコードを聴いて、弦アレなどのこつを覚え、また大滝詠一さんからはニューオリンズのピアノのリズムやオルガンのフレーズをコピーさせられたのも、いい勉強になったな。
打ち込みは、松武さんから。
最初は松武さんに譜面を渡し、打ち込んでもらっていました。
MC-4が出てからは自分でもできるようになった。
あとはPC98からMacです。
最初はPerformerしかなかった。
途中からVisionやProToolsを導入して今に至る、ですよ。
前奏曲は両方とも必須ですけど、後期で渋くて光っているのは練習曲ですよ。もちろん前奏曲も練習曲もショパンあってのことですけど。
そして最後の3つのソナタはかけがえのないものです。本当は6つのソナタを作るつもりだったのですが、ガンのため未完。 「遊戯」はブーレーズが徹底的に分析したので、戦後有名になりました。
発表当時はあまりその価値が分からなかった。
ディアギレフが注文したバレー作品です。10代の頃からよく聴いていました。
それはメシアンが優れた教育者だったからですよ。大学の教科書でした。
メシアン先生の本は、ぼくの頃から既に古典ですよ。芸大では1年が読みます。でも、メシアンとかセリーなんかは高校時代に知ってたから、大学に入ったらクセナキスと高橋悠治でした!
1959から開花し始めた「Free Jazz (Ornet Cole
man, Cecil Taylor)」においてはバルトークの影響力は絶大ですよ。アラブの音階は半音ではありません。4分音に近いです。 長いアラブ音楽の歴史のなかで、音楽理論も非常に精緻に研究され、音律も非常に多様で一概には全く言えませんが。 西洋に比べてはるかに複雑です。 ぼくもよく勉強してません。
平成28年12月9日
【映画音楽について】
一番難しいのは、音楽のテンポと文法で押し通すと、映像のテンポと合わないことです。
歌謡形式で(A,A' B...など)進めるなど、scoringとしては失格だと思います。(もちろん、意図的にそうやって映像と音楽を剥離させたい場合などもあるわけですが)あくまで映像が内包しているテンポを優先して、それにそうように音楽のテンポを決めるべきです。そこから必然的に小節数が出てきます。しかしテンポを決める前に、その部分の映画が表したいものためには、どういう動機、音色、楽器、周波数帯域がいいのか、大雑把に考える必要があります。
平成29年1月26日
前川さんの時は、あのアルバム全体のプロデューサーの名前を忘れたギタリストの方から依頼がありました。ぼくから糸井さんに詞を依頼しました。それまで演歌業界とは縁はありませんでした。ま、アレンジャーとしては美空ひばりさんの仕事をしたことがありますが。
その時は美空さんとは、電話で話しただけです。
※坂本さんは前川清に「雪列車」という曲を書いているが全く売れていない。
1995年にインターネットが普及し出してすぐ、ぼくはCDはなくなるはずだと思い、今でも思っていますし、日本以外ではほぼ姿を消しました。
1995年の予想よりははるかに時間がかかりましたが。
すぐにタワーレコードの社長に話しに行ったことがあります。「CDは無くなるんだから、どう運営するか考えるべきだ」しかし、アメリカのタワーレコードは既に15年近く前になくなりました。ビジネスの転換ができなかったのです。
マンハッタンに一軒だけ残っていた、変わったCD屋も去年でクローズしました。
ネットを利用すれば、国境を越えて瞬時に世界中の人に聴いてもらえるチャンスがありますから利用しない手はないと思います。
アナログ盤、CD盤などというものは、複製技術の機械に投資し所有し、工場でたくさんの人も雇える会社が、自分たちが儲かるためだけに生産し売っているものです。ですから、自分らが儲かるとは予想できない音楽はいらないし、生産しないのです。20世紀はそういう業者優先の時代でした。CDはその名残です。
【作曲家たちについて】
リゲティは全然調性的ではありませんよ。
中期・後期の作品に一見、調性的に聴こえる曲もありますが、あれは旋法でも調性でもありません。ダルムシュタット派の「短9度、長7度、短2度」の音色から離脱するために、セリエル派では禁忌とされていた5度も多用したからそのように聴こえるのです。
音楽をするのと、音楽で食べるのは、違うことだと思いますよ。
何世紀前のヨーロッパでは、音楽は貴族に雇われるか教会に雇われるかしかありませんでした。あるいはパブで民衆のために演奏するか。
貴族は自分を誇示するために、評判の高い音楽家を雇うので、自然に耳が肥えていったのでしょう。
現在は大衆がパトロンですから、彼らは玉石混交。耳の肥えた人も少数はいますが、多くは音楽教育を受けていない人たちです。
彼らに迎合した音楽が売れるのは当然だし、そうしないと音楽を「売って」は生きていけないでしょう。
昔も今もそれほど変わりません。
ベルクは「抒情組曲」「ヴァイオリンコンチェルト」から入り、そして「ルル組曲」などを聴くのがいいのでは。「V Concerto」は、ぼくは傑作中の傑作だと思います。おそらく20世紀に書かれたV
Concertoで、リゲティのと並んで最高だと思います。そうです。ベルクは「調的無調」を一番追求した人です。はい、バロックがなければ古典はないし、古典がなければロマン派はないし、ロマン派がなかったら20世紀の音楽は存在しえないですからね〜。
ベートーベン
やはり最後の6つの弦楽四重奏です。もちろん中期にもよいものはありますが、後期の6つは人類の至宝といってもいいものですので。
ピアソラは10代の頃から聴いてはいましたが、割と俗っぽくそれほど世間で言われるほど凄いとは思ったことはありません。もちろん、俗っぽいロマンティックな旋律やハーモニーでいい曲はありますけどね。
他分野の人が書いたもので、音楽の実践に役立つものはほとんどありません。
というか、音楽分野の人が書いたものだって役立つものはほとんどないですね。
シェーンベルク、メシアン、ブーレーズ、ストラヴィンスキー、ケージが自分で書いているものを読めば十分でしょう。
あ、もちろん武満さんも。
リトアニアは、あまり馴染みがないかもしれませんが、決して文化的に遅れていたとか、田舎ということはありません。
ドイツ帝国ができるまでは、哲学者カントが住んでいた東プロイセンの隣に位置していましたし、最近ではアルヴォ・ペルトが出たエストニアのお隣の国でもあり、強大なロシア帝国の影響下に長くありましたら音楽教育は盛んだったと思います。
2017年5月22日 4:14
ご存知のようにロシア帝国時代から、音楽教育、バレエ教育は盛んで、それ故に社会主義時代には各国に教師を派遣し、キューバのサルサミュージシャンなどが皆譜面をバリバリに弾けるのも、その成果であります。
特に面白くないけど。
人は、こういう情報の少ない人を変に神話化、神格化しやすいので気をつけた方がいいですね。例えばどの作品を聴いて天才だと思ったのですか?
※私がリトアニアの天才作家を彼に紹介した際のコメント
【作曲家の評論について】
ストラヴィンスキーは、とても示唆的です。
ドビュッシーはたくさん評論を書いていて、かなり辛辣です。
レコードのないあの時代に、実はよくコンサートに足を運んでいたということですね。
以上。
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