2018年9月4日火曜日

Ryuuichi Sakamoto(Episode5)

※タイトルはただ「五」と引っ掛けただけ。
【映画論2】
黒澤は基本的にエンターテイメントの人ですね。素晴らしいとは思うけど。
特に白黒時代。
カラーになってからはあまり好きではありません。
ぼくが好きでたまらないのは小津です。成瀬も好きです。
※小津安二郎、成瀬巳喜男のこと。
ベルトルッチは溝口に強く影響されたと言っていました。ベルトルッチの師匠のパゾリーニも大好きで、フェリーニより体質的には合います。映画監督一人あげよ。と言われれば圧倒的にゴダールです。
※ここで私はマーティン・スコセッシのインタビューにあった「人生で見ておくべき30の映画」というタイトルを坂本さんに送った。
あっ、よかった、ほとんど見てる!ま、年の功かな。
ぼくは北野さんの映画は苦手です。なぜあそこまでヨーロッパで受けてるのか(村上春樹がなぜ世界で受けるのかも)分かりません。春樹さんは、ぼくが苦手なのは理由がはっきりしていて「パクリ」だからですが、北野さんは別にパクリなわけじゃないけど、そこまで評価できる映画とは全く思えません。悪くはないと思いますが、何かボクには理解できない理由があるのでしょうねー。
※この正直な感想は私にはとても興味深かった。村上春樹より村上龍と仲の良い彼。
北野武と「戦場のメリークリスマス」で共演しながらも未だにタッグを組まないのはこんなところにも原因があったのかと。
村上春樹はカート・ヴォネガットに強く影響されているが、そこから彼の独自の世界観を提示している点ではやはり素晴らしい作家だが、大江健三郎や小島信夫、いや三島由紀夫や中上健次らと比較するとやはりインパクトが薄い。
時代が持つ軽佻浮薄は芸術にも影響を与えてしまうのであろうか。
北野武は確かに専門の映画監督ではないし、所謂、正統派で重厚な作品を撮れる人ではない。
しかし、テレビで培われた映像演出のセンスやチャップリンにも通じる「間の取り方」は秀逸であるし、何よりも希望を失った時代を若い時に経験している点で、芸大を出てから、紆余曲折は有りながらも若くして世界に名を馳せた坂本龍一とは出自が異なるのである。
マイナーな楽屋ネタを世界に通じるレベルに翻訳してしまった点ではやはり天才的であろう。
下町の感性(下世話な大衆)というのはやはり世界でも通用するものなのであろうか。
私は北野作品の大ファンだが確かに出来不出来は激しい。
「HANABI」の様に作品として美しくまとまったものもあれば、「菊次郎の夏」の様に楽屋ネタで終わってしまっているものも平気で出してしまえる図々しさが彼の面白いところなのである。
但し、彼の世界観を愛してしまうともう、作品の中身ではなく、単純に観ていたいという欲求に駆られるのである。
少なくとも学のない松本人志とは次元が全く異なる。
ジュールズ・ダッシンを彷彿とさせる「その男、凶暴につき」、「ソナチネ」や音楽を一切排除した「あの夏いちばん静かな海」、篠田正浩や勅使河原宏の系譜に通じる、近松をポップにハイファイにしてしまった「ドールズ」などは出色の出来である。
・・・
いや、完全にかいかぶりです。とてもとても僕なんか。昔はすごい人がいたんですが、、、
川端、小林秀雄、大江さん、三島、中上健次、大岡昇平さん、三善さん、武満さん、溝口、小津、成瀬、黒澤、、、みんないなくなりました。
かろうじてその頃を知っているのは、僕の身近では柄谷さんぐらいでしょうか。
※柄谷行人のこと。
劣化してますねー。それも仕方ないです。国があんな政策をしていて、自ら国力を下げているのですから。
原因と結果がはっきりしています。
※日本の政治の戦略のなさや、幼児性は現在のエンターテイメントのレベル、たとえば秋元康レベルがトップになってしまうような状況を見れば一目瞭然である。
過去の日本はまだ国を立て直そうという「覚悟」があり「PRIDE」があったのである。
今は全てがカネと一時期の名声しか求めていない。いや、生活しか見ていない。ここまで文化水準と人間が堕ちるとは20代の時の私にも想像が付かなかった。
バカが中心にいる時代は大人しくしているのが懸命であろう。
過去の文化に則って何かをやっても理解されない悲しいものである。古典を読んだり、本物の芸術に触れる人間が減った事は「時代」のせいだけにして良いものかどうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿