2019年3月9日土曜日

終止形(ケーデンス)いろいろ

■終止形(ケーデンス)いろいろ

①中世(二度の旋律的な動き/旋法的)
Ⅰ-♭Ⅶ-Ⅰ(ミクソリディア)
Ⅰ-♭Ⅱ-Ⅰ(フリギア)
Ⅰ-Ⅱ-Ⅰ(リディア)

②古典(中世との訣別、長短の確立)
Ⅰ-Ⅴ7-Ⅰ

③近代、新古典(自由な調展開)
Ⅰ-♭Ⅲ-Ⅰ
Ⅰ-♭VI-Ⅰ

実際はトニックに行く必要すら無くなっていくが....。
三度近親調による移動を古典的な手続きを踏むことなくやってしまうのは、主にロシアの作曲家に見られる。
プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンなど。

そこからの影響を一番の受けている現代の作曲家は映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムス。

2019年3月4日月曜日

流行が無い時代の音楽について

■流行というチェック機能の欠如■

昨年、今年辺りからアイドル、アニメの音楽は急激に劣化しているのを感じる。
最初は気の所為かと思ったがそうでもないらしい。 
今は打ち込みなどせずとも若い子達はパーツを並べてプロ並みのサウンドは作れてしまう時代。
更には今後AIも素人にはプロの作品と判別のつかないような「そこそこのモノ」は作れる様になるだろう。

プロがプロたる所以は音楽性で勝負する以外無いのである。

しかし、何よりも流行という全体でチェックする機能が無くなってしまったのは音楽にとっては大きな損失である。
皆、独りよがりの業界音楽になってしまった。

歴史も通してジャンルも超えて全体を見られる人間がどんどん減っていき、音大なども閉鎖的過ぎて話にならない。
未だに40年前の和声の教科書を使って教えている国がどこにあるのか?

古典様式だけ教える時代は戦後すぐだけで充分だったのである。
教会旋法、対位法、ロマン派、印象派、三度近親による自由な調性、多調、多様旋法。
そして、無調と学ぶのは当然であろう。それが本当の専門家というものである。

そして、それを如何に大衆的にしていくかを考えて実践するのが本当のプロというもの。
金になりゃ、ゴミでも売るというのではサブプライムローンと変わらない。
いずれバブルのように崩壊するのは目に見えている。クズの量産はいい加減にしないとね。

2019年3月1日金曜日

ハイファイな今の音楽について

今の芸術は「High Fidelity」(再現性が高い)であり、「Low Quality」(質が低い)である。
何故ならば、再現するもの自体が不存在だから。
最初から中身が無いものの中身を如何に再現しようが「無」なのである。
が、しかし、それを自己判断できる人間の如何に少ないことか。

皮肉な事にそれは音楽を生業としている専門家に顕著に見られる。
恐らく、習ってばかりで己で思考するということを怠ってきたか、又は単なる生活手段としか考えていないからであろう。
カネ=夢というバカなカツラのアメリカ人が考えそうなことである。

名前何だっけ?スランプ?