2019年9月2日月曜日

馬鹿にされまくった新人時代(松本人志)

松本人志と高須光聖の話

■どこまでが応援で、どこまでが過保護か

「お笑い芸人」(特に漫才師)というのは昔は「色物(イロモン)」として、あくまでもタレント、歌手やアイドルを引き立たせる為の存在でしかなかった。

それが、やすきよ、萩本欽一、オール阪神・巨人、ドリフターズ、ビートたけし、明石家さんま、タモリ、島田紳助らによって芸能界での地位は高められ、それは同時に社会的地位の向上も意味した。

第三世代である(分け方はどうでもいいが)とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、辺りになると、既にお笑い芸人というものは認められ、ある程度土壌が出来てきた上であっても、先述の巨匠達のカウンターとして闘う必要があった。

しかし、それは最初の世代の社会や業界との「闘い」とはやや様相を異にするものであり、先輩たちとの「融和や共闘」という協調性をも求められることになった。

上を叩いて伸し上がるのでは結局、自分達が年老いた時に、下に追い抜かれ寂しい思いをすることを学んでいた、たけし、さんま、タモリ、紳助達は後輩を蹴落とすのではなく寧ろ、売れてきた若手と手を組み自分達も老後に生き残れる様に保険をかけて来たとも言える。

これは芸能界に限らず、一般社会にも如実に現れている。

未だに後輩や新人を怒鳴りつけて鍛える理不尽な教師や上司は本当に数が少なくなったであろう。

それは一見、良い事にも見えるが、反面、本来は「理不尽」である世の中を教えられる人間が、それを体現する先達が不在になってしまったとも言える。

無論、理不尽な時代に戻れば良いというような単純な議論ではないし、貢献した人間に保証を与えること自体が悪いとは言えないが、様々な業界が馴れ合い、嫌われないようにする事、クローズドにすることばかりに執着をしている環境から新しいものなど生まれる訳はない。

出る杭は打たれても取り込まれても良い。
出る杭自体が減ってきてしまった人材不足、ある種の生温さの様なものをどうにかしなくてはと考える。

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