原始時代の喫茶店。
恐らく、美人は何もせんとコーヒーにケーキが付いて来た思うんです。
そこに、並の子が入って来て同じセットを望んでもウェイターのチンパンジーは何にも持って来よらへん。
人口比率としては並の子やそれ以下の子の方が多い訳ですから、「私にも食わせろや!店燃したろか!」となる訳です。
そうなってくると、オーナーチンパンも考えんとあきまへん。
石ころチケットみたいのを作りだして、美人の子は1個でいい所を、不細工な女の子は10個とかなったんでしょうね。
それでも、前まではサービスの提供自体を受けられなかった訳ですから、一段階平等になったとも言えるんです。
これが貨幣の始まりでしょう。
オーナーは本当は石ころチケットなんて概念はどーでも良かったのですが、汚いオバハン達が来て「30個あるわよ!どうしてくれる?軽い食事も付けなさいよ!」と圧力が掛かってくると無碍にもできない。
段々と本来の美の価値よりも石ころチケットの個数を優先して対応せんとやっていかれへんようになったんです。
勿論、オーナーはこっそり美人には軽食やお土産を持たせたりしてたんですけどね、「何ズルしてんのよ!」と怒られたり、下手したら暗殺されたりする危険性も出てきて、仕方なく平等に扱わなくてはならんくなったのでしょう。
そうするとね、本当の美が何か、価値が何か抽象的なものは廃れていくんですね。
実は貨幣自体も抽象だということを忘れてね。
共同幻想論じゃあらへんけどね。
そんなもんなんです世の中なんてものは。モノサシに囚われてどないすんねんという事です。
金だけ貯めて3LDKのタワマンに住んでも、発想が四畳半以下のタコ部屋みたいな人間に先は無いんです。
勿論、一銭もない私にも先はあらへんのですけどね(¯―¯٥)
世の中を教育してやりゃいいだけの話でしょ。要はいかにバレん様にやるかだけの話なんです。
それを上手くやったやつが成功してはるだけのこと。本人もそれに気付いていなかったりするのが、滑稽なんですけれどね。
芸術をやる人間は絶対的な価値観の存在を掴んでないとあきまへん。
世間がどう変わろうが美は美なんです。こっそり可愛がる対象は無くなりはしないんです。
無理に平均かして悪平等にしたり、石ころポイントを絶対的なものにしたりするのは本当に愚かなこと。
そんなもんに左右されて生きたらあきまへん。
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