2020年5月3日日曜日

リディアン・トニックを重視する理由

■リディアン・トニックを重視する理由。

これは理論ではなく『倍音』という自然現象のうち、最も最初に現れる変化(First Bias)を基軸にしています。
完全八度(オクターブ)を堆積していってもメロディやコードにグラデーションは作れません(厳密にはオクターブというコードやメロディは出来ますが)。

そこで、次に変化する部分に注目したわけです。前に進むには変化が必要ということを示唆しても居ますね。(ピタゴラスが発見したと言われる)

そうすると、『ドーソ』や『ラーミ』という二つの音の関係が重要になってきます。
これは電子楽器では聞こえませんが、生楽器や声なら少し集中すれば聴こえるようになってきますし、管楽器奏者であれば『差音』を経験した事がある方もいらっしゃるでしょう。

これらは全て自然現象によるもの。決して理論的な整合性からスタートしている訳ではないのです。そこには音があるだけ、音の振る舞いがあるだけで優劣もありません。(ドミナントモーションなどというものも極論すれば、一部の人間が後から身に付けた感覚です)

本来、音は半音単位が最小ではなくもっともっと小さい微分音の世界もある訳ですが、これは小数点を延々と数える様なもので、やはりどこかで割り切ったと言うこともできるでしょう。
人の顔を見る時に、
『あの人の肌の細胞の組織は綺麗ね~』とは感じない様に、全音と半音は一般的に認識できる最小単位として優れていたのではないでしょうか?固定の絶対音感にそこまで優位性がないのはこの為です(絶対音感のある音楽家の場合も頭でかなり補正しているはず)。

そして、いよいよ音を積み上げていき音階やら和音を作っていく訳ですが、最初から7音の世界というのは複雑過ぎます。
原点はあくまでもペンタトニックにあったという仮説には相応の信憑性があるように思います。
勿論、俗謡や民謡を眺める限り意図せずして半音やそれ未満のコブシが現れているわけですが、これもペンタトニックを土台にした上で調性的な判断は可能なのです。
まずは『中心』を決めることが大切。感じ取ることが重要です。

ジョージ・ラッセルは音にもリズムにも重力があると感じ、何とかそれを概念化しようと試み、他にはないユニークな見方を提唱した訳です。そこには善も悪もないため、分かりづらいとされてしまっているのでしょう。

音楽は二元論では片付きません。勿論、大きな枠として大小、強弱、優劣という見方はあって良いのですが、あくまでも音はエレメントでしかありませんし、それはただ『ある』だけなのです。

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