志ん生という人は相当の苦労人で、売れ出したのも30後半から下手したら40代、性格も気性が激しいので協会などとも上手く行かず認められるまで時間が掛かった人だった。
そんな志ん生が「笑い」というものの本質を突いたエピソードがある。
晩年の彼は体調も悪くて、もうジジイなので高座に上がる前の廊下で「大」を粗相してしまったことがあった。
弟子も偉大な師匠だから仕方なく清掃処理をする訳だが、さすがに噺家になりたくて弟子入りしたのに介護紛いのことまでさせられたくはない。
「全く師匠はしょうがねぇな」の一つも言ったのであろう。
そこでの志ん生の返しがすごい。
「お前さん、そんなんじゃ良いお百姓さんになれないよ」
これで、笑えない弟子なら恐らくその日のうちに荷物を纏めて実家に帰るべきであろう。
笑いというのはどこまでも脳の中で起こすものであるが、そこには機械的処理や論理的処理だけでは捉えられない「変容」がなくてはならない。
全身ガンであった樹木希林も話していたが「物事は様々な側面がある。片方からみたらとても不幸でやり切れないことも、他方から見たら笑い話かもしれない」。
捉え方一つで物事は変わる。
更には自分というものすらも客観視してしまい第三者の視点から見られる様にならないと、老後が不安で貯蓄に励む馬鹿な老人ばっかの国になってしまうのである。
日本の老人の預金額は20兆を超えているという。それは投資にも活かされていないし、遊びにも使われていない純然たる自己保全の為のカネ。
発想が賎しいんだね。全く。
カネなんぞは不況になりゃ価値は落ちるは戦争になりゃ紙切れ。
若いうちに働いて老後は楽しようったって老後があるかどうかも分からないし、アソコも勃たなくなってカネだけ持っている程間抜けなものはない。
不動産転がしや金融取引で稼いでタワーマンションに住んでいるバカも同じ。
人間が生活するのに50畳も居るわけがない。掃除が大変なだけであろう。
何でも具現化して、図示してやらないと良さが分からない若い人間ばかりになった世の中は恐ろしい。
それだけ、脳内が貧しくなっていることに誰も気付かないのだろうか。
音楽の良さに関しても同じである。
必死で厚化粧したサウンドよりもベネズエラの田舎のババァの民謡の方が遥かに心を打つことがある事を知らなくてはならない。
スター・ウォーズなんてのは具の骨頂の始まりみたいなもので、頭で自分で描いた方が際限がなく面白いのである。
それだけ脳を鍛えればの話であるが。